奇跡を信じると言うこと

先日、娘が産まれた。

初めて結婚したときいずれは子どもを授かるだろうと楽観していたがそれは叶わなかった。いや、実はそれほど強く望んでもいなかった。不妊治療も行っていたが僕はそれほど積極的ではなかった。今思い返せばその頃の僕は自分のことに精一杯でそれ以外のことを考える余裕がなかった。自分が何者で何が出来てどんな風に思われたいのか?そんなことばかり考えていたような気がする。

最初の結婚から17年の月日が過ぎた。奇しくも僕が初めて結婚したときの年齢と今の妻の年齢は同じだ。

今の僕が過去の僕と決定的に違うのは自分への関心だ。僕はもう自分のやるべきことを理解している。自分が何者で何が出来て(得意で)、何が出来ないか(苦手か)それなりに正確に把握出来ていると思う。そして喜びが自分ひとりの感情で完結しないことももう理解している。

自分以外の誰かの喜びがなくて自分の喜びにすることが出来なくなってしまっている。例えば宝くじで100万円当選したとしても誰にも言わずひとりで貯金通帳を眺めてニヤニヤしている人生に何の喜びも見いだせないのだ。それが1,000万円でも1億円でも同じことだ。

誰かと一緒に喜びたい。それが大切な人や愛する人ならこれ以上言うことはない。それが今の僕の結論だ。子どもは望んでいたが一生を添い遂げたいと思える伴侶もしばらくはいなかった。豆柴とふたり車でフラフラと出かける程度の楽しみしかなかった。それが2021年1月8日までは。

僕と妻は2021年1月9日に出会い、2月にお付き合いを開始し、4月に妊娠が発覚した。5月に入籍し7月に一緒に住み始めて先日、娘が産まれて今に至る。2021年にこれだけのことが起こるなんて誰が想像しただろうか?人生には突然考えもしないことが起こり、何かに導かれるように想像もつかないことが起こる。僕にとっては妻との出会いや娘の誕生は最たるものだ。

偶然や人との繋がりや奇跡みたいものは信じざるを得ない。人との出会いは偶然以外に考えられないし、自分に起きるはずがない、と思うような現実を体験しているからだ。もちろん科学的に説明するだけの根拠はない。

どんな逆境にいてもう無理なんじゃないか?みたいな瞬間もドラマみたいな逆風が吹いて何もかもが好転してしまうことだって僕は信じられる。つまりそれはいつでも諦めない、ということだ。悪く言うと諦めが悪いとも言うが。

妻は僕にはもったいないくらい素敵な女性だ。出会った瞬間この人と一緒にいたいと思った。僕は妻と付き合うためにあらゆる手段を講じてなんとか付き合ってもらえようになった。妻は僕と交際を始めるにあたり積極的だったとは全く思えない。

子どもが出来て僕らの関係は強固なものになった。妻はやりたいことをすべて後回しにして子どもを産むことに専念してくれた。年齢が離れていることや付き合って間もないというデメリットをすべて理解した上で子どもと僕と一緒にいてくれることを微塵も迷わず選んでくれた。子どもを授からなければ僕らきっとは結婚していなかっただろう。でも実際には娘は玉のように尊く、妻はいつも笑顔で僕のそばにいてくれる。

諦めなければ、希望をつないでいけば、いつだって自分には想像もつかないことが叶うことだってある。運の要素も大きい。それでも奇跡は信じれば起こる可能性があると僕は信じて疑わない。

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