理科の実験が好きだった、という記憶はない。だけど実験という言葉は好んで使うことが多い。とりあえず危なくない範囲でやってみよう、という実験の定義が好きなのかもしれない。社会の実験、と呼んでもいいかもしれない。
例えば人との会話。こんなことを言ったら怒られるかな?と思うけれどその反応が知りたくて言わなくてもいいような余計なことを言ってしまう(許される人は厳選しているつもりです)
例えば新しい仕事。こんなサービスがあったらいいんじゃないかな?と思いつくとまずノートにアイデアをずらずらと書き並べて、組み合わせて変化させて企画書を作って皆に話す。大抵は壮大すぎて呆れられるか、意味が分からないと失望されるか、不必要だと断じられることになる。それでも思いついたことを話して相手の反応を見るのは実験といえなくもない。
実験の醍醐味はどんな結果が出るだろう?というドキドキだと思う。想像もつかないような反発、融合、驚嘆、侮蔑、成長、失速が実験には含まれている。結果の良し悪しはあまり関係ない。
個人的にあまり望まない結果としては無反応、無応答。それだけが唯一、恐ろしい結果と言えるのかもしれない。

