とてつもない貧乏な生活をしている時、裕福な人間が羨ましく思えるものだ。道を歩いていてゴミ集積所にあるようなものを自分ならまだ使えるのに、と思うようなことは一度や二度ではなかった。実際にたくさんのものを持ち帰り、自分で使っていた記憶もある。大抵は電化製品で、壊れている部分を修理して使っていた。アンプやスピーカー、布団乾燥機、スティッククリーナーなどは結構長く使えたのを覚えている。
いくらゴミを復活させて使っていたとしても、空腹だけは満たされない。これを満たすには人からご馳走してもらう、ということが一番手っ取り早かった。自分は貧乏なのに、世の中には人の食事代くらい負担なく出してくれる人、というのがどこにでもいた。そういう時代だったのか、そういう環境だったのか。
彼らは食事をご馳走してくれるだけでなく、彼らには不要な頂き物、例えばお中元でもらった口に合わないお菓子や飲料、石鹸や野菜までいろいろなものをくれた。それらの頂き物は本当に助かった。質や嗜好より、今必要なものを満たしてくれる存在を確保しておくのは生きるための術でもあった。なるべく気持ちよくご馳走してもらえるよう、頂き物をいただけるよう無意識に心がけていたように思う。観光地で観光客から食べ物を拝借する猿、と似ていたかもしれない。
ご馳走になったらきちんと丁寧にお礼の言葉を述べる。共通の知人にご馳走になっていること、感謝していることを触れ回る。食事はおいしそうに食べる。後日あったときは前回のお礼を忘れない。など、僕にとっては日常的なふるまいだった。空腹を満たすため、と考えたらプライドなんて腹の足しにもならない。
時が巡り立場が入れ替わるときがやってくる。昔、施しをしていただいた分を後輩たちにぼちぼち返せるようになってきた。時代は若年層に貧困の多い時代。僕らが貧乏だったころと景気も違うのだろうな、と思う。たいしたものをご馳走できるわけではないけれど、身の丈に合った食事や、自分ではあまり使わない嗜好品を、かつての自分のような若者に分け与える機会がある。
世代が違う、と言われればそれまでだが、彼らはそれを当たり前のように受け取り、時には粗末に扱ったりするのを目の当たりにする。そういうのはとても悲しいし、残念でならない。もらう側にはもらう側のルールが存在する、と思うのは時代錯誤なのだろうか?
こちらもかつての先輩たちのような粋なご馳走の仕方を心得ていないのかもしれないな、とも思う。そんなものを教えてくれる人はいなかったから、当時の先輩たちの見様見真似をしているつもりだが、舞台を間違えた役者のような違和感だけが残る。
飽食の時代だから、食べるのには困らない時代なのかもしれない。

