小さなころ、部屋に鳩時計があった。時計の下からぶらりと垂れ下がった取っ手がふたつあって、それを交互に引っ張って毎朝ぜんまいを巻く、という日課があった。妹と1日おきに交互にぜんまいを巻いた。
今でもぜんまいで動く鳩時計というのは売っているのだろうか?あったとしても須吾港少ないんだろうな、と想像する。手間がかかるし非効率だ。乾電池があれば数か月は何もしなくても時計は動き続ける。
大人になってあの作業を時々思い出すことがある。毎朝、交互にぶら下がった取っ手をギリギリと巻いていたのは、確かに鳩時計のぜんまいだったけれど、あの時間、自分のぜんまいも巻いていたように思う。面倒だな、と思うこともあったし、眠くて目をこすりながら惰性で行っていた記憶もあるけれど、僕らにとっては1日の始まりとしての合図だった。それがないと1日が始まらなかった。
無意識にその日やるべきことについて考えたり、ぜんまいを巻いている間に目が覚めたり、毎朝新しい日がやってくる区切りとして大切な儀式だったのだろうな、と思い返している。
今はスマホが目覚まし代わりとなっていて、自分の部屋には時計すらおいていない。鳩時計に変わる、毎朝のルーチン業務みたいなものを今から取り入れてみても面白いのではないか、と思う。
あの鳩時計をもう見ることはないだろうが、まだ古ぼけた遠い場所で時を刻んでいることだろう。

