子どものころから本を読まない子どもだった。ひとつ年下の妹はいつも読書をしていたような気がするし、読書感想文で賞をとるような人だったから、比較されたくなくて本から離れていたのかもしれない。ただ落ち着きがなく腰を据えて読書をしようなどと思う性格ではなかったからかもしれない。読書の楽しさに気が付いたのは思春期も終盤を迎えたころだった。
初めて読書を面白いと思ったのは「はてしない物語」だった。ネバーエンディングストーリー。小学校の図書館にあって、神秘的な装丁が印象的だった。これを妹の本棚から勝手に拝借して読んでいたのを覚えている。小学生向きの本からのスタートだった。
興味のある作家、好きな作家もいろんな本を読んでいく中でどんどん増えていった。不思議なものでとても面白い、と思った本でも再び手に取るとそうでもない、ということも多かった。熱心に読んでいた作家を突然投げ出してみたり、全然興味のなかった作家に急激に熱をあげたり、ということも少なくなかった。
7年ほど読書にのめりこむ期間が過ぎた後、僕は自然に読書と距離ができた。正確には暇な時間が無くなった、読書より優先順位の高いものに時間を使うようになったということだ。当時はそのことに何の違和感もなかったし、特別な感情もなかった。
読書から離れて数年が経ち、現在。今でも好きな作家の本は電子書籍で購入して読むようになった。それでも小説は年に2,3冊がいいところ、読むのはもっぱらビジネス書で、それも一言一句きちんと読むというよりは、流し読みをして興味のある所だけを深く読み込むという、本好きには反感を買いそうな読み方をしている。
ビジネス書はともかく、小説を読む機会が減ったことは僕にとってはとてもにもったいないことだった。想像力や空想の力が年々衰えていくように感じる。毎日は合理的で説明のつくことが多くて時々気が滅入る。人との出会いだけは突発的で偶然性が高いが、それ以外の事柄は大抵の場合、経験からほとんど予測がつくような毎日だ。実現可能なことと、そうでないことの境目もはっきりしてきてしまっている気がする。
また再び小説を手に取ろうと思う。想定内の世界で目の前に山積みにされたやるべきことをしばらく放っておいたとしても、特に誰も困りはしない。それより豊かな時間が今の僕には必要な気がするから。

