感情と相談

何の感情も起きないものはみたまま、感じたままを話すことができた。

多少は主観が入る時もあるだろうが、大きな影響はなかった。

誰かにアドバイスを求められた時も同じような要領で話すことができた。

 

時々感情が大きくなりすぎると、見たまま、感じたままを表現できなくなった。

僕の中のフィルターを通った意見は、楽天的な見通しを口にさせる。

結果、適切なアドバイスができなくなっていった。

 

君らしくないな。

周りの何人かはそういうたぐいの言葉を口に出して僕を非難した。

その主張はとてもよくわかる。

一番戸惑っていたのは自分自身であっただろう。

 

感情移入すればするほど、アドバイスがとんちんかんなものになるということは、

重要な局面でこそ、僕のアドバイスは意味をなさなくなるということだ。

大切な人に対しても僕の助言はただの雑音だ。

いや、雑音より邪魔なものかもしれない。

 

いつからか親しい意見を求められることもなくなっていった。

僕も親しい人の話を聞かなくなった。

それでも相変わらず、あまりよく知らない大勢の人から、比較的楽な類の相談を受けてている。

 

本当に何とかしたい問題や、本当に大切にしたい人の力になれないなんて、

なんの意味があるのだろうか?

寝る前に毎日そう思う。

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